前のアパートの引き渡し。管理会社の担当はアパートを見もしないで「あ、あとやっときますんで、はい、ありがとうございました。」てな感じだった。この部屋は全面改装するとのこと。どうりでいい加減なチェックだ。まあ私たちの前に改装されておらず、そして私たちが8年近く住んでいたのだから、当然のことだろう。改装された部屋を見てみたいものだ。そんなわけであっさりと鍵を渡して部屋を出る。もうこれでこのアパートともこの街ともお別れか。最後に街を歩き回りでもすればしみじみしたのだろうが、新しい部屋の水道工事があったため急いで帰ったので浸っていられなかった。新しい生活があっという間に染み込んでくる、それもまた楽しい。(F)
広島から新しい店長が来た。特に引き継ぐこともないと思っていたけど話しはじめると言っておきたいことはいろいろあって、会えてよかったと思った。
早番のNが「今日で会えるの最後なんで俺も閉店までいますよ」などとかわいいことを言うのでKと3人でレジしめして、従業員口でハグしてあげて別れた。残りあと一日だ。(N) 職場のピアノ弾きとスタジオに入る。歪んだギターとピアノとリズムマシンでハードコアパンクやろうと企む。ピアノは普段歌の先生的なことをやってる人で音大出。パンクなんて聞いたこともないのに手伝ってもらう。2時間休まずやってその後2時間職場の話やフラれ話に興じる。帰宅。結婚記念日だったが特別な事は何もなくやけに大根の多いおでんを夕食に食べる。
翌日、娘の授業参観。研究発表みたいなので炭について何やら教えられる。小六ともなると男女差が顕著。男子のボンクラ加減が微笑ましい。終わったと思い学校をあとにするが後で娘が終わりの言葉を言ったとのこと。見逃すがさしたる感慨もなく。親と子はいい感じに離れてゆく。 自作曲のコードがとれずカミさんと娘にとってもらう。娘に「『♪アタシ殺しにいきますー』って歌詞なんだよねー」と言うと「お父さん、メンヘラ?」なる言葉を頂戴する。娘が3歳のころ、髪を長めにしていたら「お父さん、オカマ?」と言われた。都度、なんだか申し訳ない気持ちになる。(M) 館長さんに誘われて昼ごはん。海鮮丼の店に入り、「このいちばん高い特選プレミアム海鮮丼、これを食べなさい」と勧められそれにした。なんか孫をかわいがるおじいちゃんのようだ。年齢的には父親より少し若いくらいか。たいしたこともしてないのになぜかかわいがっていただき、ありがたかった。
夜本屋で久しぶりの大量購入したあとMと待ち合わせ。ダイナーっぽい店に行きたくさん飲んだ。調子に乗って変な色のカクテルとか特大のダイキリとか山盛りのオニオンリングとか注文する。体感時間は1時間くらいだったけど実際には3時間以上経っていて、満席だったお店はお会計するときには誰もいなくなっていた。なんだかたくさんしゃべった。(N) 朝から引っ越しの見積もりの業者が2軒立て続けに来て(というか呼んだんだけど)そのやりとりの地獄っぷりはFからこの日記サイト内できいていたので「絶対自分が優位に立つ」と気を引き締めて臨む。とりあえずサカイが最初に提示してきた額は11万。そのあとほぼ放っておくだけで48000円までは下がったがここからか。続く小規模業者のアップルはサカイの額をきいて5万→38000円を提示して帰る。アップルは3万くらいまで下げれると見込みサカイと再び電話交渉。だいぶ4万前半~3万後半の額でごねられ即決を求められたが最終的に税込35000円にすると言われなんかけっこう安くなってきた気もしたのでもう終了にした。楽しいけど、うん、疲れた。わかってはいるが最初の11万って何の金額なの?と問いたい。
夜はほんっとひさしぶりのポーカーat渋谷。お客さんが少なくこたつでポーカーしてるようなアットホーム感だった。うーん、相変わらず衝撃的な下手さだけど、まあいい。たのしい。「口の中が甘いものでいっぱい」みたいな感覚と同じに「頭の中がポーカーでいっぱい」になってちょっとトリップ。うしろから見せてもらったHさんの打ち方はほんと華麗で魔法を見てるようだし。久しぶりでちょっと忘れてたからか「やー、ポーカーってめちゃおもしろいね!」って初めてポーカーした人みたいなこと思ってた。終了後Rと走る寿司を食べて帰宅。(N) 昼はMさんが店に来てくれていっしょにうどんを食べる。ガチの中二病の娘(12歳)との中二病争いで負けている話など。今日からまたちゃんとした生活を取り戻そう。自炊だ。自炊がやはり、きちんと生活することの軸になる気がする。味ぽんが切れていたので買って帰る。夜はあいかわらず人狼部。夜中まで楽しく盛り上がった。(N)
2軒のあいだで揺れ動き、さんざん悩んでいた新居だったがついに決断した。土手が近くにあって部屋も広くて気持ちいい家の方だ。お風呂ももうバランス釜じゃない。決めてしまうと、俄然こっちがすごくよく見えてくる。
家が決まると急にいろんなことが進む。まず引っ越し日が決まり、引っ越し業者との謎の金額交渉が始まる。九州行きの日も決定し、ジェットスターで航空券も買った。それから1か月だけお試しで5000円で横浜も新しい転居先の街でも使いたいほうだい、というジムのキャンペーンを見つけ申し込む。果たしてほんとうに通うのだろうか?(N) グリーンカレーが嫌いだった 生まれて初めて食べたグリーンカレー あれは確か メタモルフォーゼで 彼が食べていたのを味見させてもらった それが最初だったと思う カレーなのにへんな色で どこまでも辛くて ココナッツの香りも スパイスの良し悪しも 全く受け付けることができず とにかく 二度と食べるものか とわたしを唸らせるほど 本当に美味しくないものだった そして、わたしにとって 初めてのアジアはタイだった タオ島という タイランド湾に浮かぶ小さな島へ 一人で向かった 数年に一度の大雪で飛行機が飛ばなかったり バンコクの駅で買った 列車と船のジョイントチケットが無駄になったり とにかく信じられないことばかりが起きていた やっとの思いで島に辿り着き たまたま船で知り合った欧米の若者に助けてもらって どうにかその夜眠るベッドを確保した それは 思い描いていたアイランド ライフとはかけ離れたもので 薄暗い部屋に とても衛生的とは言えないような シングルベッドが二つ シャワーからはお湯が出るはずもなく 雨季真っ只中の島に一人でやってきたことを ほんの少し後悔した それでも、そのときのわたしはどこまでも前向きで 「これこれ、このかんじ」 なんて思いながら 成田からの大冒険を振り返った あれは確か チュムポーンから乗った船だっただろうか スピードボートで乗り合わせた タイ人のピニョさん 自分はリゾートを持っている ということで 先に登場した欧米人の若者と相談し 案内してもらったのはピニョさんのコテージ 若者は 「僕はここにするよ」 とあっさりと決めてしまった もっと頑張って探せば いい宿なんていくらでもあったんだろうけど そのときはとてもそんな元気も勇気もなく わたしも便乗してそこに決めた 雨季の島は毎日雨で 思い描いていたものからは程遠かったけど 毎朝テラスに出て ただぼんやり雨の音を眺めるのも それはそれで その時しか味わえない時間だったなと 今は思う とても小さい島ゆえ ピニョさんとは一日に何度も顔を合わせた 「女子一人で島に来るもんじゃない」 その時に得た教訓 島で過ごす最後の日 どうしても夕飯をご一緒したいと言うので 根負けして島の外れのレストランに向かった タイ料理といえば フライドライスしか知らなかったわたしに ピニョさんが勧めてきたのはグリーンカレー 「これも思い出」 と 一口食べてみた ベビーコーンとチキンが 申し訳程度にその存在を主張していた わたしは 「二度と食べるものか」 と再び胸に誓った それから数年が経ち タイへは幾度となく足を運んでいるけれど グリーンカレーを注文することは 一度もなかった しかし つい数日前 急に思い立ってグリーンカレーを作ってみた 絶対まずいはず と思って食べてみたら 思いのほか美味しく お皿にもられたご飯とカレーは あっという間にわたしの胃袋におさまった ココナッツの甘い香りと グリーンカレーのスパイシーで芳醇な香りは 初めてタイに行った あの時を思い出させた 匂いとは 時に強烈に記憶を呼び戻す そんなことを思う 冬の寒い夜 眠っていたイエローカレーペーストを引っ張り出して また タイカレーをお腹いっぱい食べた 明日はイエローカレーうどんにしてみよう(E) 実家に帰る。1階の居間には大きな花が飾られ、白い布が壁を覆っている。棺の中の祖父は思っていたよりもずっと小さくてまるで老人みたいだなあと思ってしまった。葬儀屋さんがひとりで来て運び出すだけ、お坊さんも何もいないという。ので、なんの形式もないし、家族みんなで順番に焼香をしたあと、飾っていた花を切ってもらって祖父の胸元に並べる。車で火葬場まで移動し、最期のお別れをしたらあっというまに祖父は扉の中に運ばれていった。しかし、余計なノイズのない家族だけの静かな式は理想的だと思った。お茶を飲みながら40分ほど待ち、骨を拾って骨壺に収めたらもう終了だ。骨はLLの壺をもってしても収まりきらないという。
帰宅後、父から今後の父母の人生計画、延命治療についての意向、財産分与についての話をきく。私も父の「極力迷惑をかけないようにするし、お前たちもあてにするな」という考えには基本的に賛成だし、財産をほしいという気持ちはまったくないのでよいと思う。それぞれ好きに生きよう。 そのあと着替えてみんなで浅草へ。アンヂェラスで祖父のお気に入りだったバタークリームのレトロなケーキをお土産に買ってもらい、今半ですきやき懐石。はてしない高級店で、もてなしもお料理も心行き届いてるかんじ。どこか緊張していた心も、おいしい料理にみんなでわいわい言って、なごやかな会話でほぐれていく。今日のごちそうの会計は祖父持ちらしいしね。お肉はとろけるようで、ほんとに完璧なおいしさ。供養らしいいい時間だった。(N) 10日ほど前、前のアパートの管理会社から電話。アパートの引き渡しは今日の予定だったが、「すみません、僕20日から25日まで不在にしてまして(笑)、日にち変えてもらえませんか?」とのこと。なぜそこで(笑)なのか?という疑問が拭い去れないながらも、まあ日にちの変更は全然問題ないので31日に変更。昨日部屋をもう一度掃除して、最低限汚れをとったので、もう大丈夫だろう。というかこれで何か言われたら、「いや元々汚れてましたよ」と言い張ろうと心に誓った。(F)
祖父が亡くなり、自分が主催のイベントの当日とお通夜がちょうどバッティングしてしまった。ちょっと迷ったし、他のメンバーに相談もさせてもらったが、知らない人からも参加表明をいただいていたり、来ようと思って予定を空けている人がいる、と思うと、やったほうがいいよな…。というよりなにより、自分がやりたい、と思っていることに気づく。きっとこれは自由に生きた祖父からの「世間の常識や罪悪感にとらわれず、自分の意志を貫いてやりたいことをやれ」という最後のメッセージに違いない(ポジティブ解釈)ので、それに従ってイベントは予定どおり決行することにした。しかし、小さな決断だけどそれが次の、未来の自分を作っている気もする。
19時よりスタート。なんにも決めてなくて出たとこ勝負だったのでぐだぐだの進行だったが、ひとつのこたつにコメンテーター3人が座り、ひとりずつお客さんをお招きする。Sさんがカルテを作りしきりにメモしながら3人で思いつくままに本の名を挙げまくる。しかし、本に詳しいお客さんが多くてもう大変。3人のうちの誰かがなんとか太刀打ちできるからいいが1人ではこうはできなかった。3人いて、ギリギリ勝てた(何に?)って感覚だ。無我夢中で3時間しゃべりどおした。しかし、人に本を勧めるということの難しさ。本に詳しい、とか、本をたくさん読んでればいいというものでもない。その中で期待以上の答えを出してあげるとはどういうことなのだろう。相手の素敵なところを見つけて、本の素敵さも引き出して、「素敵なあなただからこんな素敵な本が似合う」というところに持っていけるようになりたいのだが。とにかく修行だなあ。 でも、どこまで満足のいくものを差し出せたのかはわからないが、みんななごやかなムードで楽しんでいてくれたみたいで、ひとまずは成功としていいだろうか。すごく本に詳しい女の子も「役に立てたかどうか…」と言ったら「ふだんこんな本の話をできる相手がいないから楽しかった」と言ってくれていて、なるほど、いろんな役割がある、とまた発見した。チームを組ませてもらったTさんとSさんも、とても面白いし、この戦いをともにしたことで仲良くなれた気がしている。今夜のできごとは、なにかこれから長く続く道の、大きな一歩になった気がする。やらせてもらってほんとうによかった。(N) ケーブルテレビがつながり、リビングのテレビが映った。インターネットも繋がった。早速テレビで錦織の試合を見る。今回の引っ越しは全豪オープンと共にあった。家から20分ほど歩くとサイゼリヤがある。これは嬉しい。(F)
朝からKが働く不動産屋さんへ。今日は一日かけて家さがしだ。1軒目で「え、めちゃめちゃいいじゃん!」という物件にあたり、テンションが上がる。私の第一希望の街で、駅徒歩1分、日当たりもよく、本棚も入りきりそう。この立地でこの家賃はありえない。都会が大好きで今までずっと駅近でぬくぬくしていた私にとっては理想通りの物件だ。ほくほくしながら2軒目。ここは図面ではナンバー1候補だったのだが、高速道路沿いで日当たりも悪く、思ってたのとちがうかんじ。3軒目、玄関入ってからの廊下が異常に長く、そこに本棚を置けそうで、最上階でベランダも広くてよかったのだが、街が上品すぎてつまらないかんじ。Kとインドカレーで遅い昼食にしながら意見を交わす。続く最終物件。ここは広さはよいのだが駅から遠いのが難点だ。しかし、実際に降り立ってみると、ものすごくいいかんじの土手を通って家まで向かえることが発覚。陽が傾きかけて、遠くで電車が鉄橋を渡るかんじや高校生が自転車二人乗りで通り過ぎてく様子などもすてきだ。とにかく土手が今までに見たことないくらい広い。東京とは思えない景色。毎日癒されそうだ。部屋は、玄関が超個性的だけど中はすごく広くて暮らしらしい暮らしができそう。ちょっと街に面白味がなさそうなのが懸念材料。
というわけで、1軒目と4軒目のどちらにするかで悩む。まったく決めれる気がしない。(N) 引っ越しました〜ええ昨日〜はい〜寒かったです〜とか会社でいろんな人に話していたが、だれも「へぇ〜・・・」ってな反応。他人の引っ越しに興味ある人はそんなにいないようだ。さすがにはしゃぎすぎだ。帰宅後アパートのゴミ置場に段ボールを置きに行ったら、「引っ越しなどで出た大量の段ボールは引っ越し屋さんに引き取ってもらってください」と注意書き。引っ越し屋さんには「段ボール引き取りは有料です」と言われてしまっている。しょうがない、小出しに捨てることにしよう。(F)
不幸にも、とっても寒い日の引っ越しとなった。引っ越し屋さんでもなんでも、プロの手つきというものはいいものだ。なんだか包み忘れたもの(ほうき、のれんの棒など)をあっと言う間に収納してくれる。夫は先発で引っ越し先へ向かった。私は荷物が出てガランとした部屋を掃除。物がないのに狭く感じる。全ての部屋が見渡せてしまうから帰って狭い気がするのだろう。
引っ越し先に到着するとすでに大きな家具が入っていた。ソファーの足が入らないなどのちょっとしたトラブルはあったがそこはプロの力で解決。引っ越し屋さんは昼過ぎには帰って行った。暖かいカフェオレのペットボトルをお礼に渡した。喜んでもらえただろうか。 午後からダンボールを開いていく。何をどこに置くか大体の方向性は決まっているものの、細かいものに関してはお決まりの「夫と小競り合い」。どうにかこうにか収納していく。 ケーブルが繋がらないのでリビングのテレビはまだ見られない。和室に置いた小さいテレビを見ながらビールを飲むと、なんだか旅館に泊まっているような気分だ。今日は寝る。明日から新ルートで出勤だ。(F) 朝から商談と称してぞくぞくとゲストが来る。みんな好きな人たちばっかり。一人目はJさん。転職についてしきりに「よかったです、よかったですよ」と言っている。商談をする気配はまったくなく、いつものふわふわした話をきかせてもらう。最後にプレゼントまでもらったが、中身はタイの民族っぽいお面(推定20バーツ)と椎名誠の古本。30代後半男子にしてこのプレゼント力、どうだろう…。私は…アリだと思った。二人目はTさん。こちらもおなじみの「僕、ほんとは悪い人間なんですよ、いい人なんかじゃないんですよ…」に始まる、心躍る中学生トーク。三人目は若い女子のKさん。Kさんとはまた海外の話で盛り上がる。今度フラメンコのレッスンに誘ってもらう約束。どの人とも、もうこんなふうに話すことはなくなるんだなあ。1日を通して、まったく仕事していない日だった。
そして総仕上げは久々に会うO。21時に横浜で待ち合わせして、飲みまくった。Oと飲むと、ほんとにガールズトークらしいガールズトークになる。ストレス解消、女子を生きる喜び。そして恋愛の話になっても、なんだかんだ言いながら二人とも「感謝だよ…結局……すべての男の人に感謝だよね」みたいな結論になっている、そういうところが似てると思う。愚痴ったり、被害者意識が何もないところ。Oも私も、半年前には知らなかった景色を今は見ている。これからどうなるのかな。でも今日はいい夜だった。(N) 明日引っ越しなので今日は会社を休んで準備・・・と思ったら錦織の試合があって試合終了後ワイドショーでその試合を特集したりしてテレビに釘付け。結局あまり準備は進まなかった。夕方バタバタしてると夫が帰ってきて、最後の晩餐といって駅前のガストに行った。このガストに来ることももうないだろうと思ったが全くノスタルジーはなかった。そもそもそんなにこのガストに来てない。
夜中までドタバタしてなんとか片付いたので眠った。明日は朝早い。(F) ビデオテープはカビる。
気付いてないだけでカセットテープもカビてるかもしれないが、LPなりCDで安価再入手可能な気がする。VHSソフトや録りためたTV番組はもうここにあるだけ、再入手不能な感があり。そんなVHSが段ボール3箱分ありなんとかしなきゃと思いながら数年。カビたテープを突っ込んでデッキつぶして萎えたり。 先日再挑戦。ダメもとでバラしてウエットティッシュで拭って再生。なんとか成功。数本バラすうちに手順がスムーズになる。半日で5本ハードディスクレコーダーへ、DVDへ。メドがつき今日はここまで。処理したテープを除けるが全然減ってない。しかもやったのは市販品だから収録時間も最長でも2時間。3倍で6時間収録したテープも山ほどある。「どうせ観ることないのに」いつもの袋小路にはまってそれでも処分出来ず。 一連のカビ取りと並行して宅録。去年流行ったアナ雪のアレをコピー。職場で演奏して僕ならこうすると思ったのを実行。気の狂った仕様になる。 久々に西村賢太を読む。屑っぷりに当てられて自分の駄目っぷりが目につく。自覚しながら修正せず。 月末に千葉へ自転車旅行に行く予定。その準備で輪行バッグを改造したり、ドリンクホルダー修理したり。同行者はかつてスターリンのコピーバンドやってて秋に一緒に三崎巡った方。楽しみ。 新しい眼鏡を作る。ツルが白黒チェック。これで眼鏡でライダースでも大丈夫な気がする。 百円棚で探していた「眠狂四郎無頼控(1)」「もひとつま・く・ら」」を相次いで発見。うれしい。(M) 去年Aがハワイであげた挙式の写真がチョコレートや手紙といっしょに届く。一緒に行ったあのときのハワイは死ぬほど楽しかったな。1枚選んで唐突に部屋の壁に貼ってみる。なかなかいいかんじ。
もうひとつうれしい贈り物があった。ブロンズ新社から突然電話がきて、何かと思えばブロンズ新社でやっている「書店大賞」なるものの「POP部門ベストPOP賞」というものに私の売場が選ばれたという。そして授賞式、パーティー、そのあとなんとわざわざ渋谷の高級ホテルに宿泊して次の日はみんなで印刷所を見学に行ったりランチをする、というツアーに参加できるらしい。寝耳に水。「ヨシタケさんもいらっしゃいますから」と言われた瞬間、心は逆バンジーのように5mくらい上方に飛んでいった。電話を切ったあとも心が高揚していてしばらくレジ内を無駄にうろうろした。最後の最後に、素敵な記念になった。ただ単純に、とてもうれしい。(N) 映画を1本観たあと電車と路面電車を乗りつぎ、祖父のお見舞いに行った。
古くて静かな病院。妹に「もうじいちゃんの顔じゃないからね」と脅されていたのでどんなかと思っていたが、入れ歯がないだけで久しぶりに会うじいちゃんだった。静かに眠っているみたい。昨日は声をかけると反応することもあったらしいが、今日は何度呼びかけてもわからないようだった。赤ちゃんのようでずっと見ていられそうだった。が、そんなにずっといても仕方ないので、「また飲みに行こうね」と声をかけて帰った。 みんなで食事をしてから帰り、そのあとまた映画1本観る。観終わって眠ろうとするが、なぜか嫌なこと、怖いこと、起きてもいない最悪の状況を想像しては不安になるような気持ちが次々と押し寄せて眠れない。つらいので電気を点け直して「ハトよめ」を読む。こんなときはやはりハトよめに限る。(N) 祖父が危篤との知らせを受ける。祖父母4人の中では、自分がいちばん血のつながりを感じていた父方の祖父。20年間一緒に同じ家に住んでいたので思い出は無限だ。パズルゲームが好きで、新作を買ってきてくれては一緒に取り組んで、答えをカレンダーの裏の紙にメモして二人でとっておいたりした。放蕩で、遊ぶことが好きで、他の家族から、なんで祖父と私はこんなにも毎日遅くまで家に帰らないのか、といつも言われていた。大学に入ってからはときどき終電でばったり会ったりして、一緒に帰ったりした。浅草の神谷バーで名が通ることが自慢で、「大人になったら一緒に神谷に飲みに行きたいなあー」と通算で150回は言われたであろう(今にして思えば、早めに夢かなえてあげておいてよかった)。
忌引で休むかもしれない間のシフトの調整、その他店のごたごたもあり、だるい。マネージャーとのLINEのやりとりの中で「本当に辛いときですが…耐えて一緒にがんばりましょう!」という文面が来て、あ、今、自分ってここまでのことを言われる状況にあるのか、と逆に気づく。わたし、かわいそうキャラみたいなかんじになってんだ?って。 それと別件で、小さい別れ(なじみの業者さんとの最後の商談や、社内でお世話になったり仲良くしていた人とのやりとりなど)も数が多いとそれもそれなりのボディーブローとして効いてくる。 そんな中でのWさんとの最後の商談。いろいろ思い出話をして、最後の最後に「これ…」と取り出すのでなにかそれっぽいものかと思ったら、京王デパートで今やってる駅弁大会のチラシ。をひろげてひととおり駅弁を選ぶポイント等を説明したあげく、その紙を…くれた。このセンス!惚れそう。 しかし、こういうときには人の、ご挨拶なのかもしれない程度のやさしい何気ない一言もやたらとしみる。そんな細い糸を少しずつ編んで、ロープにして自分はつかまって生きてるなと思う。私もそういう一言を照れずに言える人間でありたい。 祖父が死ぬことは爆発的な悲しさではない。ただ心がどんよりとしている。このまま家に帰るのよくない、と思って、すこし遠くの街まで行って映画のDVDを借りて、知らないファミレスでごはんを食べてみた。これもまた旅。(N) タネマキでポーカーをやる。Sがわざわざ横浜まで来てくれて出張ディーラー兼講師。遠方から来てくれたGやいつものタネマキのメンバーで、私にとっては好きな人とかかっこいいと思う人たちばかりが集まっためちゃドリームナイツだ。ポーカーやったことない人も多くて賭け方もめちゃくちゃで、何もないどうしのオールイン対決とか、オールインにコールが4人、とかわけわからなすぎる展開だったが、タネマキらしい盛り上がり方で、みんなほんとに「ポーカー面白い!」ってかんじで盛り上がってくれてたのでうれしかった。Sに「今日はださい負け方できないでしょー」とプレッシャーをかけられた甲斐もなくジリ貧負けの一歩手前まで行っていた自分だったが、たまたま当たってチップを増やし、なんとか2位でメンツを保った。1位の人(あだな石油王)のむちゃくちゃな強運っぷりも場を沸かせた。すっごい楽しかった。またやりたいな。(N)
朝からパン1枚しか食べずにお腹を極限まで減らし、横浜でMと向かった先はランドマークにあるシズラーである(シズラーとは:私が18の頃より愛しているアメリカナイズなレストラン。豪華すぎるサラダバーが有名。現在サラダバー単品の値段は2500円、デザート・スープ・ドリンク付き)。空腹で死にそうであった。否が応でも盛り上がる心。メインディッシュの肉すら頼まずサラダバー一本勝負だ。それぞれ理想のサラダを作る。コーンスープのちゃんとおいしいやつもある。それからサクサクでふんわりのチーズトースト。なにもかもが夢のようにおいしい。サラダが星のようにキラキラと胃の中を流れていった。いくらでも食べられそう。話題はなぜかお互いのバイト歴の話に。私は熱く、パンをいかに制限時間内に丸めたり仕上げたりクリーム絞ったりするかの楽しさについて語った。それから22歳のときにあった伝説の神ヤンキー上司、佐藤さんについても。Mは宇宙的才能の聞き上手なので、私のどんなつまらない退屈な話もMの前ではすごく面白い話ができているかのように感じてしまうのだ。長い時間をかけてデザートと食後のお茶まで堪能して、店を出てから私の好きな桜木町の散歩コースをぐるりと歩いた。寒さはやわらかかった。その後駅まで戻りHUBで一杯だけ飲む。最後にドン・キホーテでトイレットペーパー買ってもらって帰った。(N)
ハクビシン観に高円寺へ。
超最高。スエーデン人と肩組んで背中叩いてモッシュしながら観る。てか踊る。 明日から数日首の痛みはとれないだろう。 もう本当に戦争なんかしてる場合じゃない。 エネルギーがあまってるなら踊れ。 帰宅してシャワー浴びてると何かがぽろりと落ちる。よくよく見てみると眼鏡の鼻にあたる部分。接着がはがれたらしい。こんな経年劣化て。7・8年付けっ放しだったので仕方ない。急遽その前に使っていたモノを引っ張り出す。つきまとう違和感。眼鏡は顔の一部です。(M) 「あなたはその仕事好きなの?」 チェンマイでお世話になった ヨガの先生に言われた言葉 「次はいつチェンマイに帰ってくるの?」 いつも隣で練習していた とても美しい顔のヨギに言われた言葉 「半年東京で一生懸命働いて いっぱいお金貯めて またチェンマイに帰って来ればいいよ」 隣のバイク屋のおじちゃんに言われた言葉 「東京は忙しいだろうから 田舎に土地を借りて 畑でもやって ゆっくり暮らしたらいいよ」 同じ宿に泊まっていた アメリカ人のおじちゃんに言われた言葉 「好きなことを一生懸命やりなさい」 ヨガの先生に 最後に言われた言葉 「また遊びに来てね 次はあそこに行こうね」 最近チェンマイで暮らし始めた友人に言われた言葉 みんな気軽に言うけどさぁ って思ったけど 実は結構気軽なことなのかも 難しいとかできないとか そう思い込んでるのは 自分だよなぁ(E) |
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